免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たち電子ブックのダウンロード

免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たち

strong>本, 免田 栄

免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たち電子ブックのダウンロード
によって 免田 栄
3.8 5つ星のうち1 人の読者
ファイルサイズ : 22.47 MB
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 免田/栄 1925年熊本県球磨郡免田町で生まれる。現在、大牟田市に在住し、死刑廃止のための活動に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たちを読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
本書は免田栄氏(1925-)による自伝です。6章から成り各章の章題は次の通りです。1章海軍航空廠に徴用--戦時下の悲惨な生活から2章不当逮捕3章死刑囚の烙印を押されて4章獄中で死刑制度を考える5章刑場に消えた人々6章再審の開始資料第三次再審開始決定(西辻決定)このうち第5章においては章題からも想像がつきますように「○○年○月○日○○君(さん)」という記述スタイルで執行されて行って人たちの思い出が語られています。1952(昭和27)年4月20日から1980(昭和55)年12月16日まで50名以上の人たちと「直接別れの握手を交わし、見送った」(本書 P.137)由です。直接別れの握手を交わしたわけではない人も含めると「150~160名近く見送っている」と推定されています(本書 P.138)。いったん死刑が確定し拘置所・拘置支所に収監されたものの再審無罪となって社会復帰された免田氏でなければ書けない貴重な・稀有な記録です。それが本書の副題「私の見送った死刑囚たち」に反映されていると言えるでしょう。さて免田氏が第1次再審請求をするのは1952(昭和27)年6月10日ですがその契機となったのは次の文章です。「死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざわい)をおそれじ、なんじ我とともに在(いま)せばなり」(本書 PP.76-77)死刑が確定し絶望の深き淵にあった免田氏の独房の食器口からおそらく間違ってガリ版刷りのパンフレットが放り込まれます。大半の文字はかすれてしまいその短い文句だけがかすかに判読できました。死刑の執行という「死の影」におびえる自分と境遇が似ていると感じました。天啓を得た免田氏はその文句を繰り返し繰り返し読み数日間、祈り続けます。そして「やれることはやってしまおう」と再審請求へ踏み出した由です。この文句は旧約聖書の「詩編」第23にあります。旧約聖書「詩編」の中でいちばん有名な文句でありしばしば引用されます。いま手元にあります新共同訳『聖書』(旧約聖書続編つき)(引照つき)(日本聖書協会 1987)(旧約 P.854)によりますと詩編23は「賛歌。ダビデの詩」で相当する箇所は「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける」と訳されています。私はキリスト教徒ではないので旧約「詩編」第23からの引用であることは調べてからでないと思い出せませんでした。しかし以前どこかで読んだ記憶があり本をひもといたところ思い出しました。それは作家・開高健(1930-1989)です。開高はヴェトナム戦争取材のためU.S.Marine Corps(米国海兵隊)(ユー・エス・マリーン・コーズ)(コーズをコープスと発音すると「御遺体」の意味になってしまいます)に同行します。そして何百人もいた部隊が敵襲によってほぼ全滅したとき辛うじて生き残った17人の一人でした。誇張ではなく九死に一生を得ました。開高は米国海兵隊の兵士から「弾丸(たま)よけ」の呪文を教えてもらいます。それは基本的には旧約聖書「詩編」第23からの引用なのですが海兵隊風にアレンジが加わっています。”Yea Though I WalkThrough The ValleyOf The Shadow of DeathI Will Fear No EvilFor I Am The EvilestSon Of The Bitch In The Valley”「そうヨ、たとえわれ死の影の谷を歩むともわれ怖れるまじなぜって、われは谷の最低のド畜生野郎だからよ」--開高健『ああ。二十五年。』(潮出版 1983)(P.224)開高はこの文句を手持ちのジッポのライターすべてに彫りこませそのジッポを2個も3個もバッグにひそませておき仮になくしてもすぐに次のを取り出せるようにしておいたそうです。「いかにもヤンキー風の茶化し半分のこの聖句を手持ちのジッポにすべて掘り込ませておいた。サイゴンではしじゅうジッポが蒸発したけれどおなじのが何コとなく用意してあるので(中略)まったく気にすることはなかった。さっさとつぎのをとりだせばよいのである」--開高健『生物としての静物』(集英社 1984)(P.33)結果として開高は生きて帰ったばかりでなくヴェトナムでの体験は『輝ける闇』『夏の闇』『花終る闇』(未完)『珠玉』(絶筆)などの文学作品に結実しました。公文書が開示されるまでは確定的なことは言えませんがノーベル文学賞もとりざたされました。免田氏の本に戻りますと本書以外にも『免田栄獄中記』(社会思想社 1984)『死刑囚の手記』(イースト・プレス 1994)『死刑囚の告白』(イースト・プレス 1996)を上梓されています。絶版になっていますが私はAmazonですべて購入しました。『獄中記』のカバーの折返しには「免田冤罪事件とは--」という解説文があります。私の個人的な見解ですがマスメディアにおいては「免田事件」という呼称が定着していますがしかし再審で無罪が確定したのだから「免田事件」という呼称は必ずしも適切ではありません。『獄中記』のように「免田冤罪事件」とするか「いわゆる免田事件」とするか原点に戻って「祈祷師殺害事件」とするか選択の余地があるように思います。

0コメント

  • 1000 / 1000